大阪高等裁判所 昭和57年(人ナ)2号 判決 1982年6月30日
請求者 甲野太郎
右代理人弁護士 上野勝
同 川崎伸男
被拘束者 甲野一郎
右代理人弁護士 吉川実
拘束者 乙山花子
右代理人弁護士 市原忠厚
主文
被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。
本件手続費用は拘束者の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求者
主文同旨の判決
二 拘束者
1 請求者の請求を棄却する。
2 本件手続費用は請求者の負担とする。
との判決
第二当事者双方の主張
一 請求者の請求の理由
1 請求者と拘束者は、昭和五二年六月一六日婚姻の届出をし、その間に昭和五三年一二月二五日長男である被拘束者をもうけた。
2 請求者と拘束者は、昭和五七年一月二七日被拘束者の親権者を請求者と定めて協議離婚した。
3 請求者は、右の離婚後肩書住所地にある請求者の実家に身を寄せて被拘束者を監護養育していたが、拘束者は、同年二月一日請求者の留守中に右の実家を訪れて被拘束者を奪い去り、以後拘束者の肩書住所地の自宅で被拘束者を監護養育し、同人を拘束している。
4 よって、拘束者の被拘束者に対する右の拘束は、親権者たる請求者の監護権を排除するもので、違法性が顕著である(最高裁昭和四七年七月二五日判決、同昭和四七年九月二六日判決参照)から、請求者は、人身保護法に基づき、被拘束者の釈放と請求者への引渡を求める。
二 請求の理由に対する拘束者の認否
1 請求の理由1、2の事実は認める。
2 同3の事実のうち、拘束者が昭和五七年二月一日請求者の実家を訪れて被拘束者を連れ帰り、以後同児を拘束者の自宅(肩書住所地)で監護養育していることは認めるが、その余の事実は否認する。
3 同4の主張は争う。
三 拘束者の抗弁
1 次の各事実に照らすと、拘束者による被拘束者の監護は違法な拘束ということはできない。
(一) 拘束者と請求者の前記離婚に際し被拘束者の親権者を請求者と定めるについては、拘束者の真意に基づく承諾はなく、父母の協議を経たものとはいえないから、右の親権者の指定は無効である。すなわち、請求者は、短気粗暴で、かねてから拘束者に暴力を振っていたが、とくに離婚に至る一〇日ほど前頃からは連日のように「離婚するから出て行け」といって暴行を加え、昭和五七年一月二五日には拘束者の髪をつかんで引き倒すなどとくに激しい暴行を加えたので、拘束者は、同日止むなく被拘束者を残して自分の実家に難を逃れるとともに、ついに離婚を決意するに至った。そして、翌々日の同月二七日請求者は、自己が必要事項を記載した離婚届用紙を出して「印を押せ、一郎(被拘束者)さえくれたら家を出ていく」といって迫ったので、拘束者は、被拘束者の親権者を請求者に委ねる意思はなかったが、これ以上請求者の暴力に耐え難かったことと、この際何としても離婚だけは実現したいとの決意を抱いていたことから、止むなく求められるまま右の用紙に署名捺印したものである。ちなみに、拘束者と請求者は、昭和五五年三月二七日にも一度協議離婚をしている(約一か月後に再度婚姻した。)が、その際は被拘束者の親権者を拘束者と定めていた。
(二) 拘束者が昭和五七年二月一日に被拘束者を連れ帰ったときの状況は次のとおりであり、決して不穏当な手段によるものではない。すなわち、同年一月二七日請求者が被拘束者を連れてその実家へ去った後、拘束者は、被拘束者のことを心配しながら数日を過ごしていたが、右の二月一日に請求者から電話があり、「請求者は明日アパートに引越す、ついては被拘束者も明日から保育所へ入れることになった」と伝えてきた。突然のことに驚いた拘束者が実母を伴って請求者の実家へ行ってみると、出てきた被拘束者は「ママ、ママのところへ行く」といって拘束者にとびつき、拘束者をつかまえて離さなかった。そこで、拘束者は、後日請求者と話合をすることにして、そのまま被拘束者を自宅に連れ帰ったが、その場に居合わせた請求者の実母甲野ハナは、拘束者と一緒に行くという被拘束者を引止めることができなかった。
(三) 請求者は、右のようにして拘束者が被拘束者を連れ帰った後、現状を追認して被拘束者の監護を拘束者に委ねることに同意した。すなわち、同年二月一〇日頃請求者から被拘束者の監護について協議の申入れがあったので、拘束者はこれに応じ、同日午後九時頃から拘束者の実家に拘束者及び請求者のほか拘束者の母、兄ら親族を含む合計六名が集まって協議がもたれた。その結果、被拘束者の監護者は母親である拘束者が適当であるということになり、請求者は「被拘束者はこのままでよい」といって、拘束者が引続き被拘束者を監護養育することに同意した。
2 以上の主張が理由がないとしても、拘束者と請求者双方の監護者としての適格を比較すると、拘束者の方がはるかに優れており、請求者に被拘束者を引渡すことは明らかにその幸福に反するから、拘束者による被拘束者の監護は違法な拘束とはいえない。すなわち、
(一) 請求者は、生来短気粗暴、自己中心的といった性格的な片寄があるうえ、バセドウ氏病の持病(その症状は、精神状態が不安定となり興奮しやすくなる。)があり、昭和五六年に約三か月間入院加療を受けたが未だ全治するに至っていないこともあって、その言動は気分本位で一貫性がなく、婚姻中の拘束者に対する多数回の暴力行為など異常な行動が多い。加えて、請求者は同性愛の持主である。請求者は、被拘束者に対しては愛情を抱いているかにみえるが、それはむしろ、通常の父子間の愛情の程度を超えたものであって、拘束者に対する憎しみからくる一種の執念というべきものである。
(二) 請求者は、職業に持続性がなく、サラリーマンなど数種の職業を遍歴した後、昭和四九年に食品販売業「甲野食品(後に甲野産業)」を始めたが、この事業は昭和五二年末頃約九五〇万円の負債を残して倒産した。その後、請求者は再びサラリーマンとなっているようであるが、右の負債の大部分は今も残っており、わずかの給料収入だけでは被拘束者の監護養育にもこと欠くことは目にみえている。
(三) 請求者は、実母ハナに被拘束者の監護養育を委ねるつもりというが、同女は高血圧で二度倒れたことがあり、医師から「今度倒れたら意識が戻らない」と宣告されている。また、同女は、近所の幼児を一人一か月七万円で預って世話をしているが、以前被拘束者を同女に預ってもらった際、同児についても一か月四万円の謝礼を要求されたことがあり、同女が果して孫である被拘束者に愛情を抱いているかどうか疑問である。
(四) 一方、拘束者は、請求者と婚姻する前はスナックを経営するなどいわゆる水商売をしていたものであるが、幼時から父母に厳しくしつけられたこともあって、この種の職業をもつ女性としては堅物に属するものであり、性格、健康状態もとくに問題はなく、請求者と婚姻して後家庭に入ってからも世間並のまじめな主婦であった。拘束者に飲酒癖があるとする請求者の言い分は全くの虚偽である。なお、請求者が申立てた幼児引渡調停事件の調停期日に拘束者が出頭しなかったことは認めるが、それは、請求者の暴力と実力による被拘束者の奪還を恐れたがためである。
(五) 現在、拘束者は、肩書住所地の持家で終日被拘束者とともに過ごしている。拘束者は、仕事には就いていないが、自分が営業権をもつスナック「チェリー」の営業を妹に委ねており、その営業賃貸料として一か月一六万円の純収入がある。加えて、拘束者にはすでに新しい婚約者がいるが、同人は、拘束者の過去及び現在の身の上を理解し、被拘束者を自分の子として養育することを誓ってくれている、なお、拘束者の家の近くには、父母、兄弟、従兄弟など数人の親族が住んでいるが、これら親族は沖縄県の出身で同族意識が強く、万一の場合にはいつでも援助を受けることができる。
3 本件紛争の経緯からすると、被拘束者の親権者として拘束者もしくは請求者のいずれが適当であるかは、最終的には家庭裁判所の調停・審判によって定められるべきものと思われるので、拘束者は、昭和五七年三月二五日請求者を相手方として神戸家庭裁判所尼崎支部に親権者変更の調停を申立てたが、現在調査官による調査中である。
四 抗弁に対する請求者の認否及び反論
1(一) 抗弁1(一)の事実のうち、請求者が昭和五七年一月二五日に拘束者に暴行(ただし、その内容は争う。)を加えたこと、そのため拘束者は被拘束者を残して実家へ帰ったこと、請求者と拘束者とは、昭和五五年三月二七日にも協議離婚したことがあり、その際は被拘束者の親権者を拘束者としたことは認めるが、その余の事実は否認する。
拘束者は、飲酒癖があり、酒を飲みに出かけては朝帰りするようなことを反復していたが、昭和五六年一二月頃になると無断で外泊さえするようになり、その回数も多くなった。右の昭和五七年一月二五日も拘束者は酒を飲んで朝帰りしてきたので、請求者が思い余って拘束者の顔を平手で打ったところ、拘束者は同日一人で自己の実家へ帰った。そして、翌一月二六日拘束者の兄から「被拘束者を請求者に渡すから離婚して家から出て行くように」との申入れを受けたので、請求者は、その翌日の一月二七日拘束者の実家に赴いて拘束者と協議した結果、被拘束者は請求者が親権者となって監護養育すること、婚姻中に購入した土地建物は拘束者の所有とすることで合意が成立し、同日離婚届を提出したものである。
(二) 同(二)の事実のうち、拘束者と離婚の後請求者が被拘束者を連れてその実家へ身を寄せたこと、同年二月一日に拘束者がその実母を伴って請求者の実家を訪れ、被拘束者を連れ帰ったことは認めるが、その余は否認する。拘束者は、その場に居合わせた請求者の母ハナの制止も聞かないで被拘束者を抱きかかえて連れ去ったものであり、穏当な手段とはいえない。
(三) 同(三)の事実は否認する。
請求者は、右の二月一日直ちに請求者代理人である上野弁護士に相談し、同弁護士から、「被拘束者を実力で奪い返しても問題の解決にはならず、かえって同児のために不幸であるから、家庭裁判所の調停で取り返した方がよい」との指示を受けたので、同月九日拘束者を相手方として神戸家庭裁判所尼崎支部に幼児引渡の調停を申立てた。この間、請求者は、拘束者及びその親族らとの間で拘束者が主張するような協議の機会をもったことはあるが、その際に被拘束者の監護を拘束者に委ねることを承諾したことはなく、ただ、「実力で取り返すことはしない、調停や裁判所を通じて取り返す」と告げたにすぎない。
2 同2の主張は争う。すなわち、
(一) 同2(一)の事実のうち、請求者が昭和五六年に甲状腺機能亢進症等の病名で三か月の入院加療を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。
右の病気は、もともと軽症だったうえ、右の入院治療により病状は安定したので、再入院のおそれはない。また、拘束者は請求者の粗暴性を強調するが、請求者は、昭和五四年六月頃までは夫婦げんか(その原因は拘束者の飲酒朝帰りである。)の際たまに暴力を振ったことはあったものの、右のころ暴力を振わないことを約して後は、前記の昭和五七年一月二五日の暴行に至るまで一度も拘束者に暴行を加えたことはない。なお、請求者は、被拘束者と一緒に生活していたころは、出勤している時間以外は家で同児の相手をし、本を読んだり散歩したりして一緒に遊んでやっていた。このため、被拘束者は請求者に大変なついていた。
(二) 同(二)の事実のうち、請求者がサラリーマン勤めをした後、昭和四九年に食品販売業「甲野食品(後に甲野産業)」を開業したこと、その事業はその後倒産し、請求者は現在再びサラリーマンとなっていることは認めるが、その余の事実は否認する。
右の倒産(その時期は昭和五五年八月頃である。)により請求者には約七〇〇万円の負債(伯父の経営する丙川産業に五〇〇万円、請求者の実家に二〇〇万円)が残ったが、そのうち丙川産業の五〇〇万円については、その後一部を弁済して残りの免除を受け、現在ではその全部が消滅しているし、また、実家の二〇〇万円は実質的には贈与されたといってもよいものである。なお、請求者は、現在、尼崎市内の株式会社丁原製工舎に勤務し、一か月約二〇万円の給料収入を得ている。
(三) 同(三)の事実のうち、請求者が母ハナに被拘束者の監護養育を委ねる(ただし、昼間請求者が出勤している間のみ)つもりでいること、同女は日中近所の幼児(二人)を預っていることは認めるが、その余の事実は否認する。右のように近所の子供を預っていることは、被拘束者にとっても遊び仲間ができてかえって好都合である。なお、請求者の実家は、経済的にも安定している。
(四) 同(四)の事実のうち、拘束者が以前スナックを経営するなどいわゆる水商売をしていたことは認めるが、その余の事実は否認する。
前記のように、拘束者は、水商売から手を引いた後も飲酒癖が改まらず、被拘束者が出生した後も同児を請求者、親戚等に預けて飲み歩いていた。拘束者のこの飲酒癖は今後も改まる見込はなく、このような拘束者には、被拘束者に対する十分な監護養育を期待できない。なお、拘束者は、請求者が申立てた前記の幼児引渡調停事件について、裁判所により指定された二度の調停期日(昭和五七年二月二五日、同年三月二九日)にいずれも出頭しなかった。
(五) 同(五)の事実のうち、拘束者が現在その肩書住所地の持家で生活していること、スナック「チェリー」を他に転貸して一か月一六万円の転貸料を得ていることは認めるが、その余の事実は否認する。拘束者が再び水商売に手を染めることは容易に推察される。
(六) なお、拘束者は、請求者と婚姻する前にも一度離婚歴があり、先夫との間に二子をもうけていたが、この二人の子供は、いずれも父親たる先夫の親権に服し、同人によって監護養育されている。
第三疎明関係《省略》
理由
一 請求の理由1、2の事実、及び3のうち拘束者が昭和五七年二月一日請求者の実家を訪れて被拘束者を連れ帰り、以後同児を拘束者の自宅(肩書住所地)で監護養育していることは当事者間に争いがない。
右の事実によると、被拘束者は三年五月の意思能力のない幼児であるから、右のように同児を監護養育している拘束者の行為は、人身保護法及び同規則にいう拘束にあたるというべきである。
二 そこで、拘束者の抗弁1について判断する。
1 抗弁1(一)の主張について
《証拠省略》中には、右の主張にそう記載及び供述部分があるけれども、これらは《証拠省略》と対比してたやすく採用できず、むしろ、《証拠省略》によると、昭和五七年一月二七日の離婚届提出に至る経緯は、おおむね請求者の主張する(第二、四1(一))とおりであって、原因はともあれ離婚を積極的に迫ったのは拘束者の側であり、離婚届も拘束者の実家で同女の父、兄ら立会のもとに完成されたものであること、離婚届提出後請求者は被拘束者を連れて自家へ帰ったが、このこと自体について拘束者は格別の異議も唱えていないことが一応認められる。
右の事実によると、被拘束者の親権者を請求者と定めるについて当事者間に有効な合意(協議)があったものと認められるから、拘束者の前記主張は採用できない。
2 同1(二)の主張について
《証拠省略》には右の主張にそう記載部分があるけれども、同記載部分は《証拠省略》と対比して全面的には信用できず、むしろ、《証拠省略》によると、拘束者は、請求者の留守中に自己の実母を伴って請求者の実家を訪れ、直ちに被拘束者を抱きかかえて外へ連れ出し、居合わせた請求者の母甲野ハナ(同女は請求者から被拘束者の監護を委託されていた。)の制止を振り切って同児を連れ帰ったことが一応認められるのであって、右の事実関係からすると、拘束者の用いた手段が穏当なものであったということはできないから、拘束者の前記主張も採用できない。
3 同1(三)の主張について
昭和五七年二月一〇日頃までに請求者と拘束者らとの間で拘束者の主張するような協議の機会がもたれたことは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》中には、「請求者は右の協議の席上で現状を追認し、被拘束者の監護を拘束者に委ねることに同意した」旨拘束者の主張にそう記載及び供述部分がある。しかしながら、右の記載及び供述部分は、《証拠省略》(これらの疎明によると、請求者は、前記第二、四1(三)で主張するとおり、被拘束者が連れ去られた直後上野弁護士に善後策を相談し、その指示により同年二月九日か一〇日頃幼児引渡の調停を申立てたことが一応認められる。)に対比してたやすく採用できず、むしろ右の各疎明によると、請求者としては、右協議の場では「被拘束者を実力で取り戻すことはしない」との趣旨を述べたにすぎなかったもので、拘束者主張のような同意まで与えたことのない事実が認められる。
そのほかには、拘束者の前記主張を認めるに足りる疎明資料はないから、同主張も採用できない。
三 以上のとおりとすると、本件は、離婚した男女の間で、親権を有する一方(請求者)が監護権を有しない他方(拘束者)に対し、その親権に服すべき幼児(被拘束者)の引渡を求める場合にあたるから、請求者と拘束者双方の監護の当否を比較衡量したうえ、請求者に被拘束者を引渡すことが明らかにその幸福に反するものと認められない限り、拘束者の拘束は顕著な違法性があるものというべきである(請求者が引用する前掲二つの最高裁判決・家庭裁判所月報二五巻四号四〇頁及び同四二頁参照)。
そこで、右の観点に則して、拘束者の抗弁2について判断する。
1 まず、請求者側の監護適格についてみるのに、《証拠省略》によると、請求者(昭和二四年七月五日生)は、拘束者と離婚する前から尼崎市内の丁原製工舎に会社員として勤務し、一か月一五、六万円の給料収入を得ていること、右の離婚後被拘束者を連れて自分の実家(同所には父母と妹の三名が住んでいる。)に身を寄せてからは、留守中における被拘束者の監護を実母ハナ(六〇歳)に委ねて出勤していたこと、現在請求者は、右の実家のすぐ近くにアパートを借りており、被拘束者を引取ることになったときにはそのアパートで同児と起居をともにし、昼間出勤中の同児の監護は従前と同様ハナに依頼する予定であり、同女もこれを承諾していること、請求者は子供好きで、被拘束者と一緒に生活していたころは家にいる間よく同児の相手をしてやっていたこと、そのため被拘束者は請求者によくなついていたことが一応認められるところ、拘束者は、請求者の性格、健康状態等(抗弁2(一))、請求者の経済状態(同(二))、ハナの健康状態等(同(三))に問題があるとして、請求者側の適格性を非難するので、以下に検討を加える。
まず、右の抗弁2(一)の点については、なるほど《証拠省略》によると、請求者は婚姻中の拘束者に対して何度か暴力を振ったことがあり、今回の離婚の直接の原因も請求者の暴行に求められることが一応認められるが、しかし、《証拠省略》をも合わせ斟酌すると、右の請求者の暴力というのも、その殆どが拘束者の外での飲酒に端を発する夫婦げんかに伴うものであって、拘束者の側にもこれを招来するについて一端の責任があったものと認められ、そして、それ以外に、請求者がかつて拘束者以外の第三者や被拘束者に対して暴力を振ったことをうかがわせるような疎明資料は見当らないのであるから、前示の拘束者に対する暴行の事実があるからといって、直ちに請求者の性格が被拘束者の監護に支障をきたすほどに短気粗暴であるということはできない。また、請求者が甲状腺機能亢進症(いわゆるバセドウ氏病)等の病名で昭和五六年に約三か月間入院加療を受けたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、右の病気に罹患した場合、精神状態が不安定となり興奮しやすくなるといった症状が一般に見られることが一応認められるけれども、《証拠省略》によると、請求者の右の病気も現在は病状が安定して再入院の必要はなく、精神状態が不安定となるなど右に掲げた症状もみられないことが認められるから、当面、右の病気が被拘束者の監護に悪影響を及ぼすものとは認め難い。そのほか、《証拠省略》中には、請求者が同性愛の持主であるなどとその性格、行状の異常性を強調する記載及び供述部分があるけれども、右はいずれも客観的な根拠に欠けるもので、《証拠省略》と対比してたやすく採用できない。むしろ、請求者は、前認定のように、被拘束者が拘束者によって連れ去られた後も、再度これを奪還するといった実力行使に走らず、弁護士に相談のうえその指示に従って幼児引渡の調停を申立てているのであって、このような請求者の行動は、同人の審問廷における態度とも相俟って、前示の拘束者の主張を否定するものであるとともに、被拘束者に対する愛情をうかがわせるものということができる。なお、審問廷での被拘束者の請求者に対する態度からすると、拘束者による拘束が四か月近くになる現在においても、請求者を慕う被拘束者の気持は未だ失われていないものと認められる。
次に、同抗弁2(二)の請求者の経済状態についてみると、請求者が以前経営していた甲野産業が数百万円の負債を残して倒産したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、右の負債のうち丙川産業株式会社に対する六〇〇万円余りと請求者の実家に対する約二〇〇万円の債務が現在も一応残存していることが認められるが、しかし、《証拠省略》によると、右の丙川産業(その経営者は請求者の伯父であった。)に対する債務については、甲野産業の得意先を引継ぐなどの方法により清算することの合意ができていて、それ以上に請求者の前示給料収入の中から返済をしなければならないような状況にはないこと、実家からの二〇〇万円も今すぐ返済を要するものではないことが認められる。したがって、請求者は、前認定の一か月一五、六万円の給料収入の全部を自己と被拘束者の二人の生活費にあてることができるものと認められるから、経済的な面で被拘束者の監護養育に当面破綻をきたすおそれはないと思われる。
また、同抗弁2(三)のハナの健康状態等の点であるが、《証拠省略》によると、同女は血圧が高く以前に一度倒れたことがあるが、現在はとくに日常生活に支障はなく、家事のかたわら近所の幼児二人(二歳と三歳)を昼間預って世話をしていることが一応認められ、右の事実によると、同女は健康に多少の問題があるにしても、被拘束者は実の孫であり、しかも幼児の扱いに慣れているだけ被拘束者の監護者として適切といえるし、また、被拘束者にとっても、同じ年頃の遊び相手ができて好都合かとも思われる。なお、拘束者は、ハナが勘定高く被拘束者に対する愛情に乏しいと主張し、《証拠省略》には右の主張にそう記載部分があるが、同記載部分は、《証拠省略》と対比してたやすく採用できず、他に右主張を認めるに足りる疎明はない。
2 以上に認定、説示したところによると、請求者の被拘束者に対する愛情は十分にこれを看取できるところであるし、被拘束者を引取った場合の請求者側の監護の態勢は一応整備されていてとくに劣悪な状態にあるとは認め難いから、これを拘束者の主張する抗弁2(四)、(五)の事実がすべて認められるものと仮定した場合の拘束者側の監護状態と比較してみても、請求者に被拘束者を引渡すことが明らかにその幸福に反するものとはとうてい認めることはできず、他に同児の引渡につきその幸福に反するとすべき事情を認めるに足りる疎明資料はない。
したがって、右(四)、(五)の事実の存否について判断するまでもなく、拘束者の抗弁2の主張は理由がないというべきである。
四 なお、拘束者は、親権者変更の調停を申立てている旨主張する(抗弁3)けれども、右の調停申立の事実自体は、なんら被拘束者に対する拘束者の拘束を正当化する事由とはなりえないものであるから、右の主張は失当というほかない(前掲最高裁昭和四七年七月二五日判決参照)。
五 以上の次第により、請求者の本件請求は理由があるから、これを認容して被拘束者を釈放し、人身保護規則三七条後段により被拘束者を請求者に引渡し、本件手続費用の負担につき人身保護法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 唐松寛 裁判官 野田殷稔 鳥越健治)